本研究は、日本古代の首都社会における公共領域の特色を宗教習俗などに注目して具体的に分析し、それが身分制等の社会編成に及ぼす影響を考察することをめざしている。 最終年度の平成24年度においては、まず、前年度から継続している疫神祭祀についての考察をまとめ、穢観念との関連が奈良時代後期より顕著となることを明らかにした。その背景に、これまで考察してきたハラエなどの画期との共通性を見出し、そこにみられる首都における公共性の発現のあり方を論じた。 また、穢意識の歴史的変遷について考察を加え、その第一の画期が大化~天武朝期、第二の画期が奈良時代末から九世紀中期頃にあることを明らかにし、前者がツミを中心とする国家的な奉仕秩序構築に伴うもの、後者が死穢を中心とする神祇秩序に伴うことを明らかにした。そして、穢を単に国家の制度的な枠組みで考えるのではなく、社会習俗との重層的な構造の中で捉えるべきことを論じ、摂関期から院政期にかけての歴史的変化にも論及した。 さらに、本研究全体を総括すべく、首都の公共性と身分制との関係について考察を進めた。これまで「非人」の形成について、乞食や穢との関係が注目されてきたが、これらを統一的に把握する上で、首都の公共性の概念が有効であることを示した。すなわち、都市民の生活を成り立たせる上で共通の関心事であるとともに、国家の秩序に連動する性格をもつ事柄に、公的奉仕から排除された民が編成される点に、非人という独自の被差別身分の本質があるのであり、そこに古代首都の公共性のあり方の一つの表れをみることができることを論じた。
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