京城第一高等女学校で学んだ少女たちの体験は、豊かな階層の家庭に育ち、高いレベルの教育を受けたという限定された世界での植民地経験である。内地の女学校に比較して教育内容は高く、この女学校では良妻賢母主義を越える教育がなされていた。居住空間において日本人と朝鮮人はほとんど分離されており、植民地ということを認識しえない構造があった。植民地支配の暴力である。少女たちの人生を暗転させた敗戦と過酷な引き揚げ体験を経たのちに、植民地に暮らしたことの意味を問い返そうとする人々が出てくる。このなかに植民地支配批判の契機を見ることができる。
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