1.幕末維新期の上田小県地方(小県郡)の生糸流通・生産の実態を明らかにすべく、(1)上田市立博物館保管文書、(2)飯沼区有文書(現上田市生田)、(3)旧長野県庁文書(長野県立歴史館蔵)を中心に史料を収集・分析。とくに大きな共同作業は、8月23~25日の上田市共同調査(参加者横浜開港資料館西川武臣・学振特別研究員小林延人・日本女子大学吉良芳恵・同大学学術研究員高橋未沙・上田市博物館協会会長阿部勇・飯沼古文書研究会会長奥村栄邦ほか)、成果の一部の出版(阿部勇ほか編『蚕都信州上田の近代』岩田書院、2011年12月刊)、2012年1月22~23日の総括検討会(於横浜開港資料館、出席者井川・西川・小林・吉良・高橋・日本女子大学大学院土井師子・阿部勇・奥村栄邦)。最も時間を要した作業は、(2)のうちの豪農吉池家関係書簡類約4千点(多くは江戸後期)の整理・撮影・目録作成で、成果として『飯沼区有・名主吉池家書簡目録』(A4判265頁)を編集・印刷(長野県立図書館・上田市立図書館などに配布)。この中には上田商人の書簡、横浜開港後に江戸・横浜に出張した吉池家関係者や横浜商人の書簡約200通があった。詳しい分析は今後の課題だが、(1)(3)の史料とあわせて、次のような見通しをえた。 2.(1)小県郡の生糸生産発展の大契機としての文化期上州商人藤生家らの働きかけ(原動力たる北関東絹織物業)、(2)開港前上田生糸商人の存在形態(資金的に岩村田藩領吉池家へ依存、比較的新興の商人、生糸統制を試みる上田藩に対しかなりの生糸が藩外依田地方に流れて前橋へ出荷)、(3)開港後の輸出向け生糸生産・流通と諸藩の関係(上田藩・岩村田藩の出荷事業はその枠外での横浜出荷を志向する商人・農民を統制できず挫折、その中での中居屋重兵衛事件)、(4)小県郡生糸生産の小商品者的発展と器械製糸勃興の遅滞(養蚕製糸一貫経営農家の分厚い存在)。
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