本年度は和歌の歴史的特性について考察した。 菅原道真の記文『宮瀧御幸記』を分析し、臣下に和歌を読むことを求めた宇多上皇に対し、漢詩文を得意とする道真は、和歌を読むことをせず、漢詩を朗詠した。このことは、道真が和歌を見下していたことを示していることを明らかにした。『善家異記』によれば、こうした感情は漢詩文を得意とする文人貴族に共通する考え方であり、和歌は色ごとと密接に関係する文芸であると考えられていた。 一方、『宮瀧御幸記』には、「人々以為今日以後和歌興衰矣」という一文があり、従来は「人々以為、今日以後和歌興、衰矣」と句読点を振り、和歌を得意とする素性法師が去ったことに対して、人々がこれから和歌の興が衰えると解釈されてきた。しかし、「人々以為、今日以後和歌興衰矣」と読み直し、和歌一色となった御幸に対して、これから和歌が興隆するであろうとの感慨として読むべきであると考えた。ことことから、この記事は、和歌が公の舞台に登場する『古今和歌集』の前段階として位置づけられるのではないかと考えた。 また、この御幸に参力した臣下の性格を分析した結果、宇多上皇の近親および近臣であることが判明した。このことは、『古今和歌集』の作者のうち、同集の編纂を命じたとも完成したともいわれる延喜5年(905)に生存していた者のほとんどが、宇多上皇と醍醐天皇の近親・近臣であることと共通する。和歌が読まれる場の多くが、王権の私的空間であり、和歌には私的性格が存在するとの、和歌の基本的性格として認識することができると考えられる。
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