後白河院政は、平氏との提携によって確立した。そのために、平氏が中心的な役割をはたした日宋貿易との関係がうまれる。後白河院は王家の傍流であったので、その権威確立のために、蓮華王院宝蔵を重要視した。日宋貿易は、その収蔵品収集にも、大きな役割をはたした。また、七条町という京都最大の商工業地域との関係も重視して、京都の南部に拠点をもうけた。しかし、平家との提携が破綻すると、後白河院政は停止され、本格的な平氏政権がうまれた。平氏政権は福原京へ遷都し、日宋貿易との直結をめざした。だが、源平内乱のなかで平氏は没落し、後白河院政は平氏によって焼亡した東大寺再建を通じて、その権威回復をはかることに成功する。
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