大阪・京都・神戸3市の比較検討を目的とした当該研究において、京都市の分析は、昨年度に「都市社会事業の展開と地域社会」(『神女大史学』28号)を発表したことで終了した。そこでは、近代における都市社会構造が、大阪市と京都市できわめて近似していることが明らかにできた。小学校を維持するための学区が行政補完的機能を有し、米騒動後は方面委員制度がそれに接合されて新たな支配構造が構築されていく点で共通する特質を見出した。 続けて、それらとの比較を意識しながら神戸市の研究に進んだ。神戸市に関しては基礎的資料が乏しく、まずはその体系的な収集が必要であった。兵庫県社会課の機関誌『方面』は断片的であるが神戸市立中央図書館・神戸市文書館に所蔵されている。個別方面に関しては、『兵庫県湊川方面委員会誌』や『兵庫県神戸市林田方面委員会史』があるほか、須磨方面委員会史は七年分にわたって刊行されており、国立国会図書館などで収集した。 神戸市に置かれた学区は比較的規模が大きく、政治構造の基底となっていたことは、大阪・京都とかわりないが、早くから市政の党派の対立が区議選にも持ち込まれ、党弊が指摘されていた。その学区制度は、地域間の不均衡が顕著になり、神戸市ではいち早く1918年に廃止が決まった。米騒動後には、貧民救済にあたるために救護視察員が置かれたが、神戸市では学区が既にないため、警察管区ごとに設けられ、しかも有給吏員である点で大阪・京都両市とは大きく性格が異なる。1927年には兵庫県にも方面委員制度がとられたが、学区とは無関係で、むしろ町や丁目を単位に置かれた衛生組合の役員が方面委員に多く就いていることが認められた。この点でも大きく性格を異にしている。以上のような比較の上に立って、神戸市の地域秩序について論稿をまとめていきたい。
|