1《各港町の内部構造の検討》 (1)町の空間構造とその変化 尾道・明石・白潟・安来・杵築を素材として、近世初期の史料を中心に検討した。14~15世紀に群小港湾の中から拠点的港湾都市が形成され、16世紀はその全盛期であったこと、17世紀には港湾機能が収歛されて近世的港町が形成されること、を明らかにした。 (2)町を構成する社会の構造とその変化、諸権力との関係 尾道町豪商の自立性、杵築町の秩序の混乱などを事例に、戦国大名による港町支配がきわめて難しいものであったことを明らかにした。 2《周辺地域・海域における港町の位置づけに関する検討》 (3)後背地域との結び付きの実相とその変化 14~15世紀頃に形成された拠点的港湾都市は、たとえば島根半島の場合、杵築と出雲平野、白潟と意宇・島根・秋鹿郡周辺、安来と能義郡・伯耆国日野郡などの後背地域とそれぞれ強いつながりを持っていた可能性があること、16世紀の巨大都市石見銀山への求心性は、後背地としての側面を併せ持つ広大な地域を作り出したことを指摘した。 (4)港町相互の関係など広域的な交流の様相とその変化、そのそれぞれについて諸権力との関係戦国大名権力が港湾都市を重視したのは、税収の問題のみならず、港湾都市間の関係性を無視しえず、それぞれの後背地域社会をとらえる地域支配の要として、避けて通れなかったためと考えられる。しかし、権力が港湾都市をとらえるためには都市の秩序を維持することが不可欠であるにもかかわらず、既存の秩序維持のみに拠る限りでは、都市の発展は望めない。戦国大名権力による都市支配関係史料の少なさは、その矛盾の反映ではないかと思われる。地域権力に期待された相論調停や治安維持機能は、発展を遂げつつある都市ほど実現の困難をきわめ、それにともなって後背地域社会をとらえることも容易ではなかったことを明らかにした。
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