1)イルハン国の国道(シャーラーフ)に関する基本文献であるムスタウフィー・ガズヴーニーの『心魂の歓喜』「地理誌」のスルタニエ・タブリーズ間である北王道部分を刊本および写本写真版によって訳出し、これまでに行われた翻訳(英訳とロシア語訳)と比較した。アルメニア、アゼルバイジャン、イランの歴史地名、現代地名との対比を行い、文字の異同によって写本・刊本のテキストからは確認できない地名を推定することができた。 2)ムスタウフィー・ガズヴーニーの活動に関わるイラン史研究家ウラディミール・ペトルーシェフスキイーの論文「13-14世紀イランの都市貴顕」(ロシア語)を訳出した。都市と都市を結ぶ街道運営には、都市共同体および都市貴顕出身のイラン人官僚の活動の重要性を改めて確認することができるが、この論文の中心は、スルタニエ・タブリーズ街道の1中心都市ガズヴィーンである。また、ペトルーシェフスキーが用いることのできなかった史料によってタブリーズの都市権門の一部をリスト化した。 3)イスラーム教聖職者の動向に関しては、イブン・アル・ファウティーの人名辞典によって、北王道が走る北西イランにかかわり、イルハン国宰相ジュヴァイニー家、ラシード家との関係に関する個人名と活動地点を抜き出した。 4)イルハン国の交通システムに関する実地調査資料であるイラン調査スライド(約1万枚)を作業上に設置した。シャーラーフと対応可能なものを選び出す作業に着手した。また、近年イランやアゼルバイジャンで関心を持たれているバーバクの山城など部分的に主題別アルバムをインターネットで公開する作業を開始した。
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