1.ガズヴィーニー著『心魂の歓喜』「地理編」中の「シャーラーフ」関連部分とラシードッディーン著『集史』「ガザン・ハン紀」の駅逓制改革に関わる部分を対照し、イルハン国では最も重要な街道であるアーザルバーイジャーンとホラーサーンの間の公的使者(イルチ)特に緊急使者の往来について明らかにした。 2.旧イラン陸軍編、アダメッツ編の地名辞典およびデフホダー・ペルシャ語辞典などにより、今日もイラン各地に「ヤーム」、「ヤームハーネ」などの地名が残ることを明らかにした。しかし、後代にもヤムチ制は残された。時代ごとにヤーム制を分析し、モンゴル帝国期に留まらず、西アジア中世史全期間の交通システムを解明する必要があることが分かった。 3.イルハン国後期のシャーラーフ制には、駅逓としての「リバート」が重要であることが解明された。これは語義的には「ジハードの基地」・「スーフィーの道場」であるが、この時代のものは宮廷有力者や都市貴顕の資産運用上の施設としての意義が認められた。 4.研究実施に当たっては、文献史料にのみよるのではなく、手持ちの現地調査スライド写真を使用した。当該年度は、特に、南西イランの諸地方に関して『ザグロス地方の史跡』を「eラーニング」教材として作成した。新学期までにアップリンクする手順である。
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