(1)婚姻を通じて、イルハン家と強い関係を持つようになったファールス・サルグル朝、ケルマーン・カラキタイ朝等の領地や直轄地があった南イランや直轄地イスファハン地方を通過するシャーラーフの経路と今日残されているキャラヴァンサライや橋梁、給水施設などの遺跡分布の一致はイルハン国にとって、インド洋航路の港湾に接続する街道が重要であることを証明するものである。また、南イラン・ファールス地方踏査資料(写真・地図など)を利用して行うた、地政学的にイルハン国に類似するササン朝の遺跡分と交通地理上の考察によっても、このルートの重要性を確認することができた。 (2)シャーラーフの諸街道の内、イルハン国の首都スルターニヤからアナトリアのカイサリヤにいたり、枝道によって黒海と地中海の港湾と連続する西王道の経路と駅逓の所在地を確定することが出来たが、更にこれは近世以降の主要東西交通ルートとも、アッバース朝のとも異なる独特のシステムであることを明らかにした。 (3)イルハン国の財政に大きな寄与をしたイタリア商人の一人ペゴロッティの著した『商業指南』の中に見られるシヴァス(アナトリア)とタブリーズ(北西イラン)間の経路と宿泊地点のほぼ全てを解明する事が出来たが、イタリア商人の交通路はイルハン国官僚や諸王家使臣の旅行とは異なり、キャラヴァンサライの利用を絶対の条件とはせず、速度を重視した経済的に合理的なものであることが判った。
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