本研究において、前近代中国王朝の経済中心の地理的遷移と、王朝がその法制的制度によって解決しようとしたところの社会経済の変化を理解すべく、諸課題の解明を進めた。その結果、以下の知見を得た。まず均田制の意義が、北魏による人民動員制度として成立したところにある点が再確認でき、さらに律令制が、華北的統治様式の連続性の中にあることを指摘した。そこから律令体制が、国家の人民動員のための法制体系という要素を強く持っていた点を指摘した。ところが長江流域が、唐末五代~宋に本格的な土地売買の活発時期、および東晋以来開発が進んだ東南の本格的な成長期を迎えると、国法と経済的取引実態との乖離が見られた点も確認できた。
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