本年度は天京事変によって太平天国が劣勢となった1856年から1864年までの湘軍の反攻と対外関係について、長江中流域および下流域を中心に検討した。 まず長江中流域における清朝の反攻については、胡林翼の文集および王家璧や曾国藩、毛鴻賓の書信を活用して湘軍の軍事費を支えた税制改革について検討した。また1860年から61 年の安慶攻防戦を中心に、太平軍、清軍(湘軍)と第三勢力(捻軍や苗沛霖、李昭壽の団練など)の関係について分析を進めた。研究の基礎となる档案史料については、大陸で出版された『清政府鎮圧太平天国档案史料』に想像以上の遺漏があり、新史料の発見と整理に多くの時間を割いた。また第三勢力をめぐる史料は『軍機処奏摺録副』捻軍項に収められたものが多く、太平軍から離反した苗沛霖、李昭壽については空白の部分も多かった。これらは中国大陸の歴史認識のあり方をよく示しているが、客観的な史料分析なしには冷静な歴史研究はあり得ない。改めてこれらの基礎作業を本国(中国大陸)任せにせず、外国人研究者が担うことの重要性を確認できた。 また太平天国をめぐる対外関係については、日本国内に所蔵された英文史料から新たな成果を得ることが出来た。具体的にはボナム一行の隨員だったスプラットの手記や太平軍の宗教性をめぐる新たな史料で、太平天国のキリスト教的性格に対する好意的な反応がある一方で、彼らの偶像破壊や虐殺行為に対して「聖書を逸脱している」との批判が存在したことが明らかになった。また当時の反応には「文明化の使命」を強調した内容が見られ、当時の宣教師たちの異文化認識を理解する手がかりを得ることが出来た。 これらの成果は新たな研究成果を生み出す貴重な一歩というべきである。また本年度は太平天国初期史を扱った著書『金田から南京へ』を刊行したが、本研究の成果を補足的に盛り込むことが出来た。
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