1.8月中旬に、上海図書館で陸軍大学に関する資料収集を実施した。幸いにして、『陸大月刊』の未収集巻号をマイクロフィルムの形で収集することができた。また楊杰および蒋百里の関連資料も収集した。 2.当初の計画にはなかったが、8月中旬に杭州で蒋百里墓に詣でることができた。南京陥落後の陸軍大学に強い影響力を持った著名な人物であるが、思いの外、質素でごく一般的な規模の墓だったことに、驚きを禁じえなかった。 3.陸軍大学に関する資料の整理・読解を進めた。研究実施計画に従い基礎的な資料はほぼ読解できたが、既収集の陸軍大学発行の雑誌資料の整理は完成できなかった。1.で述べた資料はほとんど未整理状態であるので、今年度中も継続して整理を進める。未収集資料の収集計画を立てる予定でいる。 4.研究成果の一部を、論文発表した。1937~45年の南京、重慶国民政府時期の陸軍大学の教育状況を教育長の人事面から分析した。教育長自身が交代すると、校風に変化が生じたこと、蒋介石からの要求もあったことが解明できた。陸軍大学の後半部分の概要を把握できた。今後は人材養成システムに注目したい。 5.研究成果の一部を、「中国社会的近代化与陸軍大学校」というテーマで北京で開催された国際学会で研究発表した。研究の大枠と問題意識、楊杰の陸軍大学経営の特徴の3点を発表した。文芸・文学、そして歴史学でも異分野の国内外の研究者と議論をすることで、異なる観点から自己の研究内容を見つめ直すことができ、大変有意義だった。
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