本年度は、アメリカにおける労働法の制定や社会保障制度の設立が、ヨーロッパ諸国からいかなる影響を受けたのかを明らかにするために、1930年代から1940年代のアメリカと国際労働機構(ILO)の関係に焦点を当てて研究を進めた。アメリカは第一次世界大戦後、国際連盟に加入しなかったため、初期のILOとのかかわりは、アメリカ労働連盟を通した関係に限定されていた。しかし、1933年のフランクリン・D・ローズヴェルト政権の誕生後、ILOへの加入が実現した。本年度は、アメリカのILOへの加入がいかなる政策上の構想に基づいて進められたのかという点を明らかにするために史料収集と分析を行った。 そこで明らかになったのは、内政との強い連関である。第一次ニューディール政策の柱であった全国産業復興法の第7条(a)による労働者の権利の擁護を国際的に認知させることが、アメリカのILO加盟の大きな理由であった。大恐慌による世界的な賃金の低下を止めることによって、産業の公正な競争を促進し、アメリカが国際的な競争力を保持できるとローズヴェルト政権は考えていた。 また、対外的には、1933年のソ連の承認とILOへの加盟を関連付けることができる。資本主義陣営における労使の協調を図り、ソ連とは異なる形で労働者の国際的な連帯を図るために、アメリカはILOへの加入を決意した。この時期のアメリカの対外関係は孤立主義、あるいはラテンアメリカ諸国との善隣外交といった観点から理解されてきたが、本年度の研究では、労働の分野におけるアメリカの国際協調主義という新たな側面への考察を深めることができた。 研究の成果としては、1930年代のアメリカにおける福祉国家の形成に関する単著を出版し、アメリカとILOに関する論文を近くまとめる予定である。
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