本年度は、中世の歴史家が用いた言葉、すなわち歴史記述における言語選択(ラテン語か俗語か)の問題を取り上げ、俗語フランス語の発展期とされる13世紀後半から14世紀前半にかけてのフランス王国で記された史書を分析の対象とした。歴史記述は時として読者(受容者)の意向を無視し、プロパガンダ的に言語を選択、発信することもあるため、当該期における全般的な言語使用状況との比較を意識して、法実務の領域における言語使用についても確認することとした。通説的には、王権による俗語フランス語使用が、その支配圏における俗語の浸透に貢献したとされてきた。しかし検討の結果、法実務の場にあっても、また歴史記述においても、王権の拡大とフランス語の浸透は一致していなかった。両者は一体的ではなく、それぞれ独自の展開(成長、拡大、衰退)を見せている。俗語としてのフランス語は、様々な地域的偏差を含んだまま、漸次的に普及しており、各地でコミュニケーション言語としての機能を強化していくなかでその影響力を拡大させていた。王権によるフランス語の活用は、むしろそういた状況に突き動かされる形で進んでいったと考えられる。 したがって、『王の物語』に象徴される、歴史叙述における俗語使用の意味についても、通説的理解とはやや異なった観点から考えてみる必要があるように思われる。王の命を受け、当時まだ「王の言葉」ではなかった俗語フランス語を用いて、普遍年代記の枠組みのなかで王朝史を軸に独自の記述を加えていったサン=ドニ修道院の活動は、第一には、先進的に俗語を用いていた北フランス中小諸侯・諸都市と王権との関係性のなかで理解されるべきであり、第二には、史書編纂が必ずしも活発とはいえない状況のなかで、カペー期からヴァロワ期へと続くその一貫性・継続性において評価されるべきであろう。
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