本研究では、1)ロシア正教の護教論文献の再発見とその内容分析、2)護教論において論駁対象となっている反キリスト教・反正教的思想の読解、3)ロシア正教の「護教論」とその論敵との間の論点・相違点・共通点を抽出することを研究目的としている。本年度は、19世紀におけるロシア正教護教論に関する文献一覧を作成し、そこでの主要な論駁対象および批判の論点を総括的に概観した。特に、非教会的・世俗的な宗教思潮・運動との関連を解明し、具体的には、19世紀後半~20世紀初頭では、西欧のルナン、リッチュル、ハルナック、ロシアのトルストイに対する批判が護教論文献において重要な位置を占めていることを指摘した。他方で、ロシア正教護教論の論者のあいだでは1905年革命以降、見解や立場の相違が深刻化していたことも明らかになり、そのなかでロシア正教会のあり方を改革しようとする立場に立つ護教論者が、ウラジミル・ソロヴィヨフを高く評価するとともに、ロシア民族派や宮廷権力と結びついた教会勢力と鋭く対立していたことも指摘した。他方、19世紀初頭については、ロシア正教独自の護教論というよりもキリスト教護教論一般の枠内で、特に神学大学改革における哲学教育の路線をめぐる確執のなかで護教論的モチーフを観察することができた。その論点は、キリスト教とプラトン哲学・新プラトン主義との関係に集中しており、この時期は信仰と哲学を分離するのか、融合するのかをめぐって隠然たる闘争が展開されていたことを指摘した。総括的にいえば、ロシア正教神学者が本格的に正教固有の護教論的内容構成に着手するのは1870年代以降であり1905年以降に活性化するが、その背景には世俗の学生たちの神学への関心の高まりと共に教会のあり方に対する一部の神学者たちの危機意識の高まりがあった。だが非信仰者との対話の回路である護教論文献の質・量は西欧と比べ限定的であった。
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