本研究は、1940年から1991年までソヴィエト体制の下にあったバルト諸国のうちエストニアおよびラトヴィアを対象に、記憶の装置と歴史研究の相互作用を実証的に明らかにすることを目的としたものである。 研究計画段階では、1918年の独立宣言、1920年のソヴィエト・ロシアからの独立から90周年にあたる2008年および2010年にとりわけ各種の記念行事や議論が活発化することを予想していたが、実際には、必ずしもそうではなかった。その理由は様々な角度から分析可能であるが、一つには、2008年秋からの世界的な経済危機の影響が考えられる。端的には人びとの関心が日々の生活と不安定化した政治状況によって方向づけられていたと言える。このことは歴史認識の顕在化のあり方が人びとをとりまく世界にいかに規定されているかを改めて浮き彫りにすることになった。 そうした中でも、ベルリンの壁崩壊から20周年にあたる2009年には、研究者を中心として活発な議論があったことは指摘しておきたい。本研究の研究代表者も、ラトヴィアのリーガで開催された国際会議にてペレストロイカ期における言語情報ギャップに関する報告を行い、また他の参加者と議論を行った。 4年間の研究成果として、ここでは次のことを確認しておく。すなわち、エストニアおよびラトヴィアではその歴史的背景から、研究者も含め人びとの歴史認識は、構築性に自覚的でありながら本質的理解を否定できないなど両義的である。独立回復20年余り、EU加盟約8年を経て、歴史は主たる関心事項ではなくなりつつあるように見えるが、歴史の書き換えや、歴史小説・映画にときに過剰とも思えるような社会の反応があることは、過去がいまだ歴史となっていない証左であることから、歴史の持つ「公共性」と歴史研究の距離に自覚的になり、さらなる検証が必要であると言える。
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