本研究は、1932年に成立したいわゆる「満洲国」に居住した亡命ロシア人の生活世界の実態および満洲国の統治政策と亡命ロシア人世界との相互関係を同時代の史料に基づいて分析し、当地の亡命ロシア世界が東アジアにおいて果たした機能とその歴史的な意義とを実証的に解明することを課題とした。本年度は、ハルビンを中心とした亡命ロシア人による教育の組織化の実態解明とその歴史的意義について考察した。 この研究課題の遂行を通じて、以下のような諸点を明らかにすることができた。 (1) ハルビンでは、ロシア人が居住していた時期を通じて一貫して帝政ロシアに起源を有する教育機関が存在しており、異郷の地で若い世代をロシア語で教育し伝統文化を継承する上できわめて大きな役割を果たした。ヨーロッパ諸国の亡命ロシア人とは異なってハルビンのロシア人社会は、制度化された教育を通じて「ロシア性」の再生産を可能にした。 (2) 白系ロシア人教育機関は、1924年の中東鉄道の中ソ合弁企業化によってハルビンに登場したソ連系教育機関の圧力の下で、これに対抗して白系ロシア人の価値観を子弟に教育する課題を担うことになった。こうして白系ロシア人教育機関とソ連系教育機関が対抗しつつ拡大する状況が現れ、加えて独自の価値観を追求する宗教系教育機関も登場してきた。(3)1932年の満洲国成立後にも、ロシア語によるロシア人教育自体は維持された。白系ロシア人教育機関と宗教系教育機関は、満洲国の体制に組み込まれることによって、大きな制約を受けながらもロシア人教育の機能を維持することができた。
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