平成23年度は研究計画の最終年度にあたるため、平成21年度~22年度の研究成果を踏まえつつ、「16世紀前半の宗教改革期のドイツで形成された《民衆語(ドイツ語)のパンフレットによる大衆的情報伝達と公論形成のメカニズム》が16世紀後半の宗教対立期にどのような変化を遂げたのか」という主要課題の解明のために、次の3つの作業をおこなった。(1)平成21年度~22年度に収集したパンフレットと史料を素材にして、「ドイツ・ルター派地域のパンフレットの《大衆的情報媒体》としての特徴」と「パンフレットの流通に対する為政者側の対応」が1550年代から1590年代にかけてどのように変化していつたのかを通時的に分析した。(2)こうした通時的分析に必要な補助史料(カトリック地域のパンフレット、帝国議会資料など)を収集し、その分析結果を上記の分析に加味した。(3)「16~17世紀ドイツにおける公共圏の歴史的変容」に関する近年の研究成果を整理し、それを上記の分析結果と比較した。こうした作業を通じて、次の3点が明らかになった。(i)1555年の『アウクスブルクの宗教平和』によってプロテスタント帝国等族の宗教的権利が保障された後に、ルター派地域の為政者は、この権利の維持を目的として、彼らが「プロテスタント内部の宗教対立の助長・顕在化の要因」と見なしたパンフレットの流通を規制するようになった。(ii)このような規制措置の結果として、そうしたパンフレットの作者であった神学者層と為政者との間に対立が生じ、それが新たな紛争の誘因となった。(iii)1580年代~1590年代のルター派諸領邦のカルヴァン主義化政策とそれに伴う都市紛争をきっかけにして、反カルヴァン主義的パンフレットの出版点数が急増し、それらのパンフレットのなかで、宗教改革期に用いられたのと同種の「非識字層を意識した表現手法(挿絵、詩・歌、対話)」が多用された。
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