本研究の目的は、古代日本における法倉の実態を総合的に解明し、法倉が古代の地方支配において果たした本質的な意味を解明する点にある。 平成22年度は21年度に続いて、法倉の基礎資料を得るために、法倉とみられる大型の倉庫跡を中心に資料調査を実施した。具体的には、福岡県下高橋官衙遺跡(筑後国御原郡衙)、岡山県勝央町勝間田・平遺跡(美作国勝田郡衙)、長野県飯田市恒川遺跡(信濃国伊那郡衙)、長野県岡谷市榎垣外遺跡(信濃国諏訪郡衙)、山梨県笛吹市国府遺跡(甲斐国山梨郡衙)、栃木県小山市千駄塚浅間遺跡(下野国寒川郡衙)、栃木県真岡市中村遺跡(下野国芳賀郡衙)、茨城県平沢官衙遺跡(常陸国筑波郡衙)、福島県いわき市根岸官衙遺跡(陸奥国磐城郡衙)、福島県会津若松市郡山遺跡(会津郡衙)、宮城県大崎市南小林遺跡(陸奥国内の官衙遺跡)について、調査を行った。また、21年度に調査を行った、福島県関和久遺跡(陸奥国白河郡衙)については、補足調査を実施した。 平成21年度の調査で陸奥国とそれに接する下野国と常陸国を中心にみられる瓦葺きの法倉(超大型倉庫)については、瓦葺きの法倉の多くが総瓦葺きで威容を誇っていたことが明らかになっていた。22年度の調査においても、西海道の福岡県下高橋官衙遺跡(筑後国御原郡衙)、長野県飯田市恒川遺跡(信濃国伊那郡衙)について、出土瓦を検討した結果、同じく総瓦葺きとなる可能性が高い点を明らかにした。また、各遺跡の資料調査によって、法倉は8世紀前葉(8世紀第1四半期前半)までに造営されていた可能性が高いことを再確認した。 平成22年度は法倉とみられるクラについて、立地についても検討を行った。その結果、駅路などの道路や河川交通からの景観を意識して設置されている点が明確となった。 平成22年度の研究によって、法倉の実態について解明が進み、法倉が律令国家の威信を示すために造営され、地方支配の装置として機能していた点が明らかになった。
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