今年度は、水環境と古代都市との関係を探るため平安京の北方賀茂川の中流域の遺跡の実態把握とその分布状況を分析した。その際高野川と鴨川に挟まれた地域におけるこれまで行われた遺跡調査の地点を1/1000の都市計画図にプロッートし、それと並行して調査成果に関する資料のデーターベースを作成した。また現地表での標高を猟集して地理情報システムを利用し、3次元モデルの構築を試みた。また現地踏査を行い、現存する用水路からみた水の流れる方向を確認するとともに、鴨社に残る古絵図に表現されている水路位置と範囲を復元し、かつての水資源の利用状況を現代と比較した。そのことから土地利用の有り方のなかに原風景を辿り、現在いかにその痕跡を認められるかどうかを分析した。加えて立命館大学歴史都市防災センターの研究成果を援用して、1300例ほどの鴨川流域に関する古絵図や古地図に関するデーターの集成をおとなった。 また古代都城の源流の一つである高句麗の初期都城を実地踏査し、城壁外部の鴨緑江などの大中河川に分布する関隘と呼ばれる石塁・土塁に注目し、都市域の範囲を知る重要な遺跡の分析を行った。また古代東北における城柵官衙を実地調査し河川に囲まれた微高地や流域沿いの丘陵上に立地することから、河川との関連が極めて強いことが把握できた。さらに多賀城西方に布する古代城柵官衙群は東西方向にほぼ配置され、重要な防御ラインを構成していることが認められた。それらの中には方形区画を伴うものもあり一定の都市域を構成していたことを把握した。また骨寺村絵図にみられる中世東北の荘園に於いても水環境とのかかわりが依然様相を変化しながらも形成されていることも理解できた。 また讃岐国府での調査成果を通じて河川と路、港津の関係を見、古代から中世の都市が交通路や河川といかに深いつながりがあったことを把握した。 このような調査から、古代都城だけでなく地方都市においても、遺跡の成立や立地に対して水環境が様々な役割を担っており、その存在が重要な意味を持っていたことが浮かび上がってきた。
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