今年度は、水環境と古代都市との関係を探るため平安京の北東および東方の遺跡の実態把握とその分布状況を昨年度の事業を継続して行った。また作成した微地形の3次元モデルと各遺跡の範囲をレイヤーに区分して、両者を比較してその関連性を分析した。また発掘調査が比較的進捗している北白川、京大構内遺跡群から聖護院にかけての一帯の現地踏査を行い、現在使用されている中小河川の水の流れからみた地下水脈の方向と、発掘調査で確認された井戸の深度から予想される水脈の深さとの関係を検討してみた。これらの作業を通じて絡東諸郷の成立と変遷をたどり、都市的な場の形成過程を論じてみた。あわせて洛中洛外図をはじめとする収集して古絵図をもとに、植生や道路網、寛文〓堤野設置に伴う都市化についても分析を加えた。 また古代東北の日本海側秋田城をはじめとする雄物川流域における城柵官衙を実地調査し河川に囲まれた微高地や河川合流地点の丘陵上に立地することや、いりこんだ湾の奧に遺跡が分布することから港湾施設を伴う津との関連が極めて強いことが太平洋岸同様把握できた。さらに多賀城前身の城柵官衙で知られる郡山遺跡の西に接する同時期の長町遺跡などの集落遺跡の存在が知られ、このほかの重要な城柵官衙でも同時期の集落が隣接して存在することから、古代城柵官衙は単独ではなく集落遺跡などと併存して存在立地することが、今年度の東北地方での踏査で一層明瞭となったことは、成果の一つと言える。さらに城柵官衙が衰退して以降もこのような立地の在り方は継承される傾向にあり、ひいては中世東北の荘園と集落においても水環境とのかかわりが依然継承されて形成していることも理解できた。 このような調査から、古代都城だけでなく地方都市においても、遺跡の成立や立地に対して水環境が様々な役割を担っており、その存在が重要な意味を持っていたと考えられる。
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