公開されておらず、研究者にも閲覧不許可であった吉岡銅山資料のデジタル化とデータベース化を通じて一次資料の公開を行うこと、また銅山遺構の再調査による旧施設の検証をすること、将来的な銅山記念館開設に向けて資料を整備することが本取り組みの目的と概要である。ところが、一部の史誌資料編に掲載された内容の一次資料の所在確認が困難を極めた。これは、一部の有力郷土史家が資料管理をする中、外部からの閲覧はもとより、市関係者でもごく一部の人物にしか閲覧を許可しなかったことに起因した。過去2年間の調査と交渉の結果、本年3月にやっとこの問題を克服することができ、資料は市の教育委員会の管轄下に置かれ、閲覧と記録が可能となった。また、地元資本家の資料は、地域での研究が全く進展しなかったという理由から東京の遺族が保持していること、近世の資料は住友金属が『住友叢書』に編集していること、近代の経営者であった三菱マテリアルの資料は岡山県にはないこと、画像資料は三菱マテリアルと岡山県内の個人が所蔵していることが判明した。ただ、聞き取り調査や現地調査によって、戦後における一次事業再開時の銅山見取り図と坑道図、昭和期後半に計画された銅山跡地のリゾート開発計画書等を入手した。これらは、銅山全盛期の姿を知る上での手掛かりになる。データペースは、高梁市教育委員会及び高梁市歴史美術館等と協議し、高梁市が所蔵する美術・民俗・植物標本資料等の資料全般と横断検索できるプラットホームを開発した。今後記録する銅山資料もこのデータペースに蓄積する。特に今年度は、高梁市教育委員会や高梁歴史まちづくり課との連携強化を図ることができ、数年のうちに銅山記念館の整備を行い、資料の展示と遺構の見学コースの整備を平成23年度からの計画に盛り込むこととなった。
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