本研究は、日本の古代律令国家における官衙と寺院がいかなる場所に造営され、占地上、どのような関係を有していたかを検討し、律令支配体制の一つの表徴たるこれらの施設の立地面での特性を探るとともに、その政治的な役割を解明することを目的としている。近年の地方官衙や寺院の調査事例の増加は著しく、良好な資料が蓄積されつつあるが、こうした研究成果をふまえつつ、本研究が目的とする占地面での検討を加え、官衙と寺院それぞれの分析と相互の比較を重ねることで、律令制を支えた施設群の立地的特性と、それが果たした政治的機能をより深く解明することができるものと考える。 最終年度にあたる本年度は、前年度までに収集した藤原京以後の都城についてデータを追加したほか、奈良盆地の古道に関するデータの収集と分析をおこなった。そして、7世紀における直線道路の敷設・整備過程と条坊制都城の造営、さらには後・終末期古墳の占地との関係を整理し、従来の学説を一部修正する成果を得た。 また、畿内では氏族寺院をおもな対象に、データの収集を継続した。実地踏査を含めて、水系上の位置や標高および周囲との比高、丘陵や平地との関係、主要道路からの方向と距離などを整理し、寺院の性格の違いによる占地の差が認められるのか、それらが時代によりどう変化するのかを検討した。このほか、北陸道をはじめとする諸国の官衙を対象として、国衙・郡衙・駅家など、おのおのの性格の違いに着目にしつつ、データの収集を継続し、占地に関する諸要素を整理して、官衙の性格の違いによる占地の差が認められるのか、寺院とは異なる官衙としての立地上の特性が存在するのかを検討した。 そして、以上の作業をふまえ、研究成果のとりまとめと総括をおこなった。
|