研究課題/領域番号 |
21520800
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研究機関 | 首都大学東京 |
研究代表者 |
杉浦 芳夫 首都大学東京, 都市環境科学研究科, 教授 (00117714)
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研究分担者 |
原山 道子 首都大学東京, 都市環境科学研究科, 助教 (00117722)
石崎 研二 奈良女子大学, 文学部, 准教授 (10281239)
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キーワード | 中心地理論 / Edgar Kant / エストニア / 立地・配分モデル / 地理学史 |
研究概要 |
フィンランド南西部タルツ周辺の中心地勢力圏調査そのものを1930年代後半に実施し、第二次世界大戦後に論文化した、フィンランドの最初の中心地関連研究と目されるトゥオミネン(1949)の研究は、クリスタラー(1933)とともにカント(1935)を先行研究として引用している。フィンランドでの本格的中心地研究と位置づけられるパロメキ(1963)においても、カント(1935)は引用されている。また、スウェーデンでも、早い時期にセンサスデータによる都市的集落の区分を試みたエネキスト(1947)は、カント(1935)を通してクリスタラー(1933)の中心地理論を知ったようである。これらの例からもわかるように、スウェーデン、フィンランドの北欧の中心地研究においては、カント(1935)はクリスタラー(1933)とともに共引用される傾向にあり、カント(1935)は北欧地理学界への中心地理論の紹介者的役割を果たした。一方、第二次世界大戦末期以降長らくソ連の領土に組み入れられたカントの母国エストニアでは、カントの研究は全て反ソ連的内容のものとされてきたが、クリスタラー(1933)の中心地研究はカント(1935)の研究を介して知られ、ソ連統治下でのエストニアの集落配置計画もカント(1935)を参照した可能性がある。 カントの研究で興味深い点は、多数の分布図を比較して、地理的現象の説明を試みている点である。エストニアの自然環境と人口との関係を論じたカント(1935)の前半部分に典型的に見られるように、分布図の比較によって、地理的現象を因果論的に説明しようとする点は、対象とする地域スケールの違いはあるものの、ほぼ同じ頃、分数コード法に基づいて作製された地図を重ね合わせ、自然環境と人間活動(土地利用)の関係を解きほぐそうとしたアメリカ地理学者達の小地域研究の方法論と酷似している。説明方法の探求という点でも、カントは単なる中心地研究の追試者以上の存在であると評価されよう。
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