1. 具体的内容 20世紀前半期に上海に設けられていた東亜同文書院(のち大学)が半世紀にわたって行った中国から東南アジアに及ぶ大調査旅行による調査旅行日誌と調査報告書のうち、満州地域の記録を対象とし、満州事変以前の満州の地域構造を明らかにする点に本研究の目的がある。2年目の本年は前年度複写した原文の解読をすすめ、1920年代における漢人の集中的な入満の中で中核的都市が満鉄沿線に次々に形成されるとともに、それらを拠点として農地開発がその時期の入満漢人が農業労働力となり、南満、中満一帯で進める一方、北満でも河川沿いに点状で小規模な開拓がすすんだこと、東南部では朝鮮人の水田開発が進行していること、自然環境としては気候上不利な状況下にある北満において土壌条件がよく、南満や中満では不適な小麦作が可能であることがわかり、それが北満の農業開発の契機になりそうなこと。しかし、西部のホロンバイル地方はまだほとんど開発がすすんでいないこと、など各地域による地域差の存在を確認することが出来た。 2. 意義 満州を広域に歩んで調査し記録した資料は他に例がなく、この研究によって、当時の満州地域の全体像を組み立てていくことができ、その後の満州国時代・中共時代への基礎研究になる。 3. 重要性 その時代の資料は乏しく、日本のみならず中国側も多大な関心をもち始めている。
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