本研究は、近世期以降における北海道南西部(渡島半島)の民俗をとりあげて、異民族間交流や地域間交流を経て成立した生活文化の変遷過程を明らかにすることを目的としている。 具体的には、少なくとも17世紀から現在まで日本海沿岸の檜山地方で伝承されている鹿子舞の頭のひとつが、20世紀初頭において渡島半島を東西に分断する背骨状の山々を越えて、内浦湾沿岸に居住するアイヌ民族に受け継がれていた事例を中心に据えながら、民族や地域を超えて再利用されてきた民俗資料群を提示し、日本の北辺において形作られた民俗事例について考察するものである。さらに、19世紀の和人地と蝦夷地を区分した境界線の移動に着目し、異民族間交流や地域間交流を経て成立した生活文化について調査を行うものである。 当該年度は、北海道南西部、特に汐首岬から山越へと和人地の範囲が拡大する18世紀末から、廃仏毀釈に至る19世紀後半までの神社祭祀について調査を実施し、研究紀要にまとめた。さらに、渡島半島の東西地域の主要な河川と離島に祀られている神社の祭祀形態と、それを取り巻く集落において聞き取りを実施した。あわせて函館市内の博物館や郷土資料館を中心に、河川や異民族間交流に係わる物質資料についても調査を実施した。 また、北海道西南部における民俗の伝承に大きな影響を与えた地域の比較調査として、熊野本宮を取りあげて、松前城下の七社のひとつである熊野神社との関係について調査するとともに、北前船に係わる神社祭祀について調査を行った。
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