今年度は、一方で日本法制史研究史の基礎史料の収集として、宮崎道三郎及び中田薫の未公刊講義筆記ノートの複写による収集に努め、その基礎的な分析に着手した。とりわけ中田のドイツ法制史、フランス法制史の講義筆記ノートから、彼が依拠していたと考えられるドイツ、フランスの文献を突き止めることに努め、わかった範囲でその利用の特徴を検討した。それと並行して、ドイツ・オーストリアの法制史・国制史学研究史の分析のために、当該年度は、中田が主として依拠したと思われる、いわゆる「古典学説」の特徴を、後の発展から逆照射すべく、オットー・ブルンナー、テーオドル・マイヤーを中心とする新しいVerfassungsgeschichte研究の特徴を、その両者が出自したオーストリアの政治史、歴史学史の文脈のなかに位置づける作業を行なった。すなわち、第一次大戦前のオーストリアが多民族国家であったことが、19世紀のヨーロッパ歴史学の主流であった国民的な歴史叙述を困難にし、そのことが、ドイツと比べても法実証主義的、制度史的な性格の強い国制史学が展開する条件となったこと、このことに対する反作用に加えて、敗戦、帝国の解体、それに起因する領土回復要求から、Heinrich Ritter von Srbikによって提唱された「全体ドイツ的歴史観」が、党派所属を越えて広範な範囲の歴史家たちに共有されたこと、またブルンナーが立脚している「ゲルマン的連続性」の議論が、単に19世紀はじめ以来ゲルマニスティクに伝統的に受け入れられていた思考枠組に規定されているのみならず、上記のような歴史的・思想的状況の中で、同時代のヴィーンで一段とアグレッシヴな形で主張されていた考え方を直接受け入れたものであること等を明らかにできた。
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