Georg Waitzに関する研究について、とりわけそのテキスト批判的研究と国制史構想との関係に焦点を絞ってさしあたりの考え方をまとめ、講演の形で発表した。<厳密な史料批判的研究を行なっていたにもかかわらず、国民主義的な視点に影響されていた>とする伝統的な批判に対して、彼のNationの観念が決して伝統主義的もしくは静態的なものではなく、あるべきNationを発見するという、idealistischな性格を有し、その限りで「どこに存在しないあるべきテキスト」を再構成するというテキスト批判の基本的な立場と方向を一にすることを強調した。当時においては未だ存在していなかった「ドイツの」Verfassungを再構成するという作業自体、そのようなIdealismusなしには不可能であったことを考えれば、ある意味で当然のこととも言える。著書Deutsche Verfassungsgeschichteの第二版において後代の史料の遡及的利用が増える背景としては、文献調査の結果、昨年度想定していたゲルマン古事学一般というよりは,ゲルマン語学・ドイツ語史研究の展開が強く影響しているのではないかという見通しを持ったが、Watiz自身が手がかりを残していないため、もう少し詳細な対応関係を確認する必要がある。 研究史上、WaitzやH.Brunnerの次の世代にあたるOtto Hintzeの比較国制史的研究についても研究を進め、従来指摘されていたようにSchmollerの経済史学からつながる彼の行政史研究の延長戦上にあるのみならず、基本的にはRankeに遡る列強対峙を中核に据えた歴史観にも大きく規定されていることを明らかにした。 日本国制史研究史については、西洋史との比較における時代区分論についてまとめ、講演の形で発表した。
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