研究概要 |
本年度は,世界の諸人民が様々な財や責務をどのような原理に基づき分配するべきか,またその分配において国家あるいはネーションがいかなる役割を果たすべきか,というグローバル・ジャスティス論のアプローチを参照しつつ,人為的人格としての国家の役割をこのようなグローバルな文脈でとらえなおすことを試みた。 グローバル・ジャスティス論へのアプローチとしては,コスモポリタニズムとグローバル正義否定論という二つの見解が両極に位置している。これに対し,熟議的民主主義,平等,個人的自由・権利といったリベラル・デモクラシーの核心的要素は,ナショナルな政治的単位でこそ最も実現されるとするデイヴィッド・ミラーは,一種の団体責任としての「ネーションの責任」という概念を打ち出し,それによって「世界の貧困層に私たちは何を負っているのか」というグローバルな正義の問題に取り組んでいる。 本年度は,このミラーのグローバル・ジャスティス論を研究しつつ,地球規模で拡大する経済格差とりわけ「ヘルスケアの不平等」という事態を前に,医療技術をはじめとする諸々の便益を諸人民にどのように分配するべきか,に労力を傾注した。 国家を「人為的人格」の代表例としてとらえるとすれば,このような擬制説的国家論がグローバル・ジャスティスの問題群に与える影響は決して小さくない。国家の擬制的性格が強調されればされるほど,国家やネーションといった団体が負うグローバルなレベルでの責任は希釈されると考えられるからである。このことを踏まえ,論文「グローバル・ジャスティスに直面するリベラル優生主義」では,先端的な医療技術へアクセスする権利をグローバルな文脈においてどのように位置づけうるかを深く検討した。
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