本研究は、M・ヴェーバーやG・イェリネックの諸著作において問題提起されたにもかかわらず、これまで十分に検証されてこなかった「人権の起源」をめぐる問題に決着をつけることを目的とする。今年度の研究では以下のことを明らかにすることができた。 1. イェリネックの『人および市民の権利宣言』(1895年)で問題となった、人権の「思想史的」起源が「信教の自由」、とりわけ、17世紀に北アメリカへ移住したピューリタニズムの教義にあるという見解は、誤謬とは言えないまでも、誤解を招くものであった。というのは、狭義のピューリタニズムとは、カルヴィニズムのことであり、このカルヴィニズムの教理から、信教の自由や政教分離の思考は直接的には生じなかったからである。ヴェーバーやトレルチは、信教の自由の歴史的起源をバプティストやクウェーカーの教理に求め、両者とカルヴィニズムの理念型的性格を明確に区別した。 2. イェリネックの人権宣言論では、カルヴィニストに迫害されたバプティストのロジャー・ウィリアムズの思想の中に、信教の自由の「歴史的」「思想史的」起源を求めるものであった。しかしイェリネックの意に反し、ウィリアムズの著作と、信教の自由や政教分離を明記したヴァージニア州憲法の「権利章典」(1776)および「アメリカ合衆国憲法修正第1条」(1791年)との直接的な因果関係を見出すことはできなかった。言い換えれば、ウィリアムズとこれらの条項の成立に尽力したトーマス・ジェファーソンやジェームズ・マディソンとの直接的な思想史的関係はなかったのである。もっとも、この点については不明な点も多く、引き続き両者間の影響連関や思想史的接点を、収集した文献資料に某づき考察していく必要がある。 3. 1789年に制定されたフランスの「人権宣言」の範型が、北アメリカの諸州、とりわけ、1776年以降に制定されたヴァージニア、ペンシルヴァニア、マサチューセッツ諸州の「権利章典」にあるとするイェリネックの見解も、十分に検証されたとは言い難いものであった。確かに、「人権宣言」を起草したラファイエットはアメリカ独立戦争に参加して、上記「権利章典」の存在を知っていた。しかし、イェリネックのように「権利章典」と「人権宣言」の条項の類似性から、人権の「法典化」の起源を「権利章典」に求めることは説得力を欠くものである。 4. 人権の起源と自然法の関連性については、ヴェーバーの自然法観にも影響を与えたトレルチの「絶対的自然法」と「相対的自然法」の峻別が分析枠組みとして有効であった。人権の起源と自然法の関連性についても、22年度以降、さらに考察を進めていく予定である。
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