本研究は、G・イェリネックの『人および市民の権利宣言』(1895年初版)で喚起された人権の起源論争に1つの決着をつけることを目的とする。 21年度は、イェリネックの人権起源論に対する肯定的見解について考察したが、22年度は否定的・批判的見解について考察した。その中で浮かび上がってきたのは、以下のような論点である。第1は、人権の起源はイェリネックが言うような信教の自由に特化できず、人権や信教の自由を、アメリカ入植者のイギリスからの離反と独立のための戦略の観点から捉え直す必要があること、第2は、1776年6月のヴァージニア州を端緒として、ペンシルヴァニア、マサチューセッツ等のアメリカ東部諸州に自由権を含む「権利の章典」が次々と制定されていくが、その実態は、自由の享受にはほど遠く、北部では神権政治、南部では国家教会制の形態が取られていたこと、しかも信教の自由の直接の対象者はプロテスタントであったこと、第3は、最古の人権規定とされるヴァージニア州の「権利の章典」も、その起草者は、イギリス国教会の敬虔な支持者ジョージ・メイソンであったこと、またその第16条の「信教の自由」条項も、必ずしも第15条までの世俗的な人権規定との相互規定関係にあるとは言えないこと、第4は、イェリネックが信教の自由の立役者として評価したロジャー・ウィリアムズも、国家と教会の分離、政教分離を過度に強調するために、国家に対する人民の制約権、言い換えれば、自然権の存在を十分に認識していないことである。 以上の4点については、23年度の研究でも引き続き検証していく予定である。
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