1963年に突如顕在化したジョン・F・ケネディ政権のベトナム介入政策破綻について、3つの異なった視点からの分析を試みた。その視点とは、(1)外交、すなわち米ソ冷戦におけるベトナム戦争の位置づけ、(2)軍事、すなわち現地の兵力を駆使した民族解放戦争への対応とその限界、(3)政治、すなわち政治戦争における国民の支持確保の観点から見た政治危機への対処が内包する問題点である。(1)外交面では、米ソ対立の頂点から冷戦緩和に向かう過渡期におけるアメリカ外交を検証するため、ドゴール仏大統領による南ベトナム中立化提案(1963年8月)を取り上げた。ケネディ政権にはこの提案を受け入れる素地があったにもかかわらず実際には拒絶した事実、およびその理由などから、部分的核実験停止条約調印や米ソ首脳直通回線設置など1963年にもたらされた対ソ和解政策が内包する限界が明らかになった。(2)軍事面では、発展途上世界におけるゲリラ戦争への対応を検討するうえで、とりわけラオス=ベトナム国境地帯に居住する山岳民族の活用に焦点を当てた。北ベトナムから南ベトナムへの敵の浸透路を遮断し、同時に彼らを南ベトナム政府の側に惹きつげるべく、その組織化・武装化に期待した試みが早期に挫折にいたった過程とその原因を詳細に分析した。(3)政治面では、南ベトナム政府による強力な反共国家建設の努力について、政治の安定化、とりわけ国内の多数派である仏教徒勢力との衝突がもたらした政治危機への対応について検証した。そこには仏教徒危機解決や統治の民主化などを求めるアメリカと、改革に消極的な南ベトナムとの間に生じた齟齬と軋轢に両国が求める目標の違いが表れていた。
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