1.『レッド・リパブリカン』掲載の『共産党宣言』最初の英訳の訳者がヘレン・マクファーレンであることをその「序言」で初めて明らかにした『宣言』1872年ドイツ語版と密接に関連する『ライプツィヒ大逆罪裁判』(1872年刊)について研究発表した。 2.一昨年度成果オーベルマン論文翻訳の続編の内容をもつI.フントの論文を翻訳した。 3.本年度は上記最初の英訳について論文を発表予定であったが、マクファーレンについて、米・英・南阿の国際協力による新調査の結果、1818年にクロスミルで更紗捺染工場主の裕福な家庭に生まれ、家族がその先端技術を学ぶ関係で独語に習熟したが、1842年の父の歿後破産し、ガヴァネスとしてウィーンに赴き1848年革命を実見、1851年以降、革命亡命者F.プルーストと結婚、コンスエラを出産、南阿に移民しようとするも夫と娘に先立たれ、帰国後、教区司祭ジョン・W.エドワーズと再婚、ハーバートとウォルターの2男児に恵まれるも、1860年バディリーで41歳で歿等の伝記的事実が昨年11月末に初めて公表された。その確認と検討のため、論文とりまとめが年度を越えたが、H25年度中に公表予定。 4.『宣言』起草者を初めて公表した誌紙が1850年発行の『新ドイツ新聞』、『レッド・リパブリカン』及び『新ライン新聞。政治経済評論』のどれかを、基準を明瞭にして確定した。 5.『レッド・リパブリカン』編集者ハーニーがロンドンのドイツ人労働者教育協会に入会した日付を、アムステルダム社会史国際研究所蔵のM.ネットラウによる議事録抜粋を調査し1846年2月24日と初めて確定した。 6.『宣言』を再録した警察資料ヴェルムート/シュティーバー著『19世紀の共産主義者陰謀』(1853年刊)の発行部数がわずか100部であったことを、1862年刊のファンデルモイレンによる政治諜報活動に関する著作32頁の叙述から確認した。
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