研究3年目に当たる23年度は、研究計画書に沿い、10年後公開ルールによって公表済みの日本銀行金融政策決定会合の議事録・執行部提出資料の詳細分析を柱に据え、他の資料分析や定量的分析等も加味しながら分析を行った。その分析結果からは、第1に、量的緩和という考え方が、1998年4月9日の第1回決定会合から提示され、委員の間では、金融経済情勢が極度に悪化した場合などに対応して、将来的に採り得る政策選択のぎりぎり最後のオプションと位置付けられていたことが判明した。第2に、量的緩和政策の導入で主導的な役割を果たした速水総裁や植田委員・田谷委員が2001年に入ってから、政府の構造改革に伴うデフレ圧力の高まりに備えて金融政策面での対応が必要という問題意識を積極的に表明していた点に加え、2001年3月19日の決定会合における討議状況や対外公表文の構成等を総合的に考慮すると、日銀は、不良債権の最終処理等に伴うデフレ圧力を和らげる環境作りのために、量的緩和という前例のない政策を導入し、それをてこに政府に不良債権の抜本処理を中心とする構造改革への取り組みを断固促すという、大きな狙いを持っていたとみることができる。第3に、新日銀法施行後の、ゼロ金利政策や量的緩和政策といった異例の政策対応では、最近の金融政策理論において、主流となっている新ヴィクセル流の考え方-すなわち、金利のゼロ制約下においても中央銀行が名目短期金利の将来経路に影響を及ぼすことができるならば、将来の緩和効果を前借りするかたちで、金融政策は有効性を維持できると考える-が最大限活用されたと認められる。
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