モスクワの図書館および文書館での資料収集をつづけ、ソ連の農業集団化の経済社会的な前提を以下の視角から分析するとともに、集団化過程そのものがそれらの前提による特殊性を刻印されたことを解明しようとした。本年度は、主として別記の二つの論文をそれぞれ改善、あるいは新たに執筆することに専念した。ともにロシア語でかつて公表したことのある作品であるが、程度の差はあるがそれぞれ書き直しをおこなった。第1に、1920年代において、農村コムニスト(党員および党員候補の意)、さらに、農村コムソモール員や一般に若者のなかに、「脱農民化」への強い傾向、すなわち農業ではなくそれから離れた職業に就こうとする志向、あるいはさらに都市へ向かう傾向があり、したがって反農民的な傾向が特徴的であったことに着目し、そのことが集団化における暴力の源泉となったと問題提起した。同時にそのことが、集団化とともにコルホーズ農村に職業のヒエラルヒーが発生する等々の特性が生まれたことを解明した。第2に、1920年代の農民共同体の終焉の過程を集団化との関連で考察した。そのために、共同体の重要な所得源泉である共同体メンバーの拠金等からなる自己課税が、ソ連の政策のなかでどのような変遷をたどったかを追求し、そのことによって、ソ連の集団化の歴史的特質を独自の視覚からそらえようとした。そのなかで、ロシアにおける共同体が廃絶される過程が、共同体から村ソヴェトへの社会的・経済的機能の譲渡という、あらかじめ政策的に想定されていた過程をたどったのではなく、村ソヴェトそのものが農村での権力の主体から排除されて、集権的な政治体制の形成へと結果したことを明らかにした。
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