21年度においては、まず、ポンドの衰退を問う場合に重要な意味をもつ英米金融協定(1945年12月調印)と、それに伴って実施されたポンド交換性回復およびその挫折(1947年8月)とに注目し、イギリス政府の内部文書等々を分析することによって、以下の諸点を明らかにした。 1.英米金融協定におけるポンド早期交換性回復の約束は、イギリスにとっては必ずしも成功の見通しがあってしたわけではなかった。 2.ポンド交換性回復は特定期日に実施されたのではなく、2国間支払協定により経常取引によって獲得されたポンドへの制約を緩和し、その対象国を拡大してゆくという方法をとった。 3.ということは、交換性維持の困難も1947年7~8月に突然浮上してきたわけではなく、既に47年の早い段階でイギリス当局者は交換性回復の延期が必要であるとの認識を持っていた。 4.にもかかわらず交換性回復を進めたのは、国際通貨としてのポンドの地位が崩壊してしまうことへの懸念があったからであるのは否定できないが、交換性回復の約束を守ったうえで、やはり無理だったということを示して直ぐに止めてしまうという、若干微妙な方針も存在した。 22年度は以上を踏まえて、1949年ポンド切下げとYPUについて検討を進める。
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