22年度においては、ポンドの衰退を把握する場合に大きな意味を持つ1949年9月の切下げについて、イギリスの内閣、大蔵省、およびイングランド銀行の内部文書を分析し、以下の諸点を確認した。 1. 49年の切下げは突然踏み切られたことではなく、48年1月には具体的な準備が開始されており、切下げ実施までの長い期間にはIMFも含めて多くの外国関係者と協議が行なわれていた。 2. したがってポンド切下げは、単なるポンドの切下げだったのではなく、ポンドを軸とする多数の通貨の平価調整として捉えられるべきである。 3. 全般的な平価調整が必要であった時、実際にはポンドが切り下げられ、他の通貨が追随する形になったのは、この時点の国際決済においてポンドが依然として大きな役割を果たしていたことを示す。 4. ポンド切下げによってイギリスの金・ドル準備は回復し、経常収支も改善がみられたが、そのことが、切下げ後のヨーロッパ決済同盟(EPU)設立交渉においてイギリスがポンド使用拡大を改めて主張し始める背景にあった。 5. 49年切下げをポンド衰退の一里塚としてだけ捉えていると、ポンド衰退過程の多面性を逸してしまう。新しい衰退史の構築が必要である。
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