研究概要 |
日本では堺の刃物産業において,問屋と呼ばれる卸業者が零細企業をまとめるコーディネータとしての役割を発揮し,製造工程を管理するというビジネス・システムが構築されていた。このようなビジネス・システムがこれまでの発展を支えてきたと同時に脱成熟化の制約要因ともなっていた。 このような傾向はヨーロッパでもみられるが,日本とは多少異なった展開を示している。イギリスのシェフィールドでは伝統産業の企業経営は,産業の成熟とともに縮小しているが,刃物師協同組合が地域社会に深く埋め込まれており,地域において重要な役割を果たしていた。特にマスターカトラーという熟練工が社会的地位を獲得しており,産業だけでなく,地域社会の文化,生活,教育に深くかかわっていた。 一方ドイツではこのような役割を多角化した大企業が担っていた。例えば刃物企業のツビリング・ヘンケルスであり,ナイフメーカーのボーカーである。これらの企業はブランドを構築し,そのブランドを活用し,刃物から様々なキッチンウェア,アウトドア製品へと多角化展開を図り,ゾーリンゲンの刃物産業の発展を担っていた。 国によるこのような傾向の違いが生まれる原因は,企業に対する経営者の経営哲学の違い,歴史的な発展過程,国の風土などが考えられるが,競争圧力の違いも重要である。ドイツのゾーリンゲンは数多くの企業が競争を展開し,早い段階から国際的な競争にさらされていた。そのような国際的な競争環境ではブランドを構築しなければ生き残れないのであり,それを構築したものが,結果的に長期的な発展を成し遂げた。一方,日本ではOEM供給をはじめとする協力関係が存在し,ブランド構築の機会が少なく,それを促進する競争圧力も世界的にみた場合には比較的に弱く,業界に秩序が保たれていた。ブランド構築を通してリーダー企業が誕生し,その業界を発展させていくためには,協力だけではなく,適度な競争環境が必要であるといえる。
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