研究概要 |
本年度の研究課題は、課題①沖縄MTL(Mission to Leper)に関する資料・文献の整理を踏まえた成立経緯とその社会的影響に関する考察、課題②1930年代の沖縄縣による癩保養院建設に関する行政上の動きと同時代の病者の現実の解明、課題③本年度が本研究の最終年度となるため、全体のまとめを行なうこと、の三件であった。 課題①は、1935年6月に屋部と安和で起きた所謂「焼討事件」に関して踏み込んだ考察を行い、同事件は沖縄MTLの広報活動を新聞が誤報したことに端を発する点を踏まえると、沖縄MTLは発足当初から青木たちを追い込む結果となり、苦境におかれ、日本MTLや「本土」の篤志家から救援を仰いでいた点を考察した。課題②は、廣川和花著『近代日本のハンセン病と地域社会』(2011,大阪大学出版会)の検討を行なった結果、沖縄縣と内務省の関連を追う必要であるとの知見を得、沖縄縣に関わる官報を追う必要が出てくるが、今年度は着手できなかった。また1907年法「癩予防ニ関スル件」は、沖縄縣に保養院開設の動きを促したが、当時の沖縄の病者に対しての実質的影響はなく、「國頭愛楽園」が1938年に開園して、沖縄縣は本土の1907年法の前夜的状況に至ったとの作業仮説をまとめた。課題③は以下の通りにまとめることができる。青木恵哉の、1927年の来沖以前からの病者としての療養のキャリアと自らのミッションの変遷を辿り、彼を取り巻く支援者たちとの社会関係の広がりと当時の沖縄の病者たちがおかれた過酷な現実が、一病者たる彼をして、療養所構築の構想を抱かしめたとの考察を試みた。遍路による野宿の経験、公立療養所・私立病院でのキャリアが、青木をして、自ら理想とする宗教病院構築の構想となり、この構想が金武村による自活形態の病者支援と邂逅し、大堂原での青木の土地購入につながり、患者立療養所・愛楽園の誕生を引き出した。
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