本研究は、「公害」を伝える「語り部」をメディアとしてとらえ、語ることによって彼(女)らがどのような場をオーディエンスとともに作り出しているのかを明らかにしようと試みるものである。多大な被害をもたらした熊本と新潟の水俣病の「語り部」の講話の場がどういう力学を持つのかを中心に、フィールドワークを行なってきたが、今年度は、その理解をより深めるために、他の公害発生地域との比較や、「戦争」の「語り部」との比較も行なった。前年度からの課題であった、狭義の「当事者」にこだわるのではなく、「当事者性」という観点から、今後どのように「水俣病」が「記憶」され「記録」されうるのかを考えていくうえで、四日市および沖縄でのフィールドワークが特に参考になった。 四日市では、民間グループである「公害市民塾」のメンバーが、定期的な勉強会や、市との協力のもとに「語り部養成講座」などを開催している。そうした地道な努力の中から新たにメンバーに加わった若者が、「患者」への聞き取り調査を実施し、それを継続することの重要性を説いている。これは、狭義の「当事者」ではなくとも、「患者」とともに学びなおすことで、「記憶」を紡ぎだすことができること、それによって「当事者性」を獲得する可能性が開かれることを示唆している。 また、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」と「佐喜眞美術館」での語りの実践は、誰がどのように戦争や公害の記憶をつないでいけるのかについて考えさせられる。「ひめゆり平和祈念資料館」での「証言者」と「説明員」という語り手の違いがもたらす語りの差や、「佐喜眞美術館」館長である佐喜眞道夫の『沖縄戦の図』を前にしての力強い語りなど、次世代が語り継いでいくことの可能性を考えさせる。 今後もこうした比較という方法も射程に入れながら、「当事者性」の問題を考えていく。
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