(1)「研究目的」は当初、3点とした。第1に、前近代(18世紀末~19世紀後期)の日本人の出産・出生に焦点をしぼり、出産・出生史料、新規収集史料を活用して、これに関わる指標を算出する。第2に、権力の人口減対策・出生促進策を解明する。第3に、両者を架橋・対比し、政策の効果測定を試みることである。 (2)また「研究実施計画」は同様に、3点とした。第1に新史料の収集、第2に既存データの整理(データベース構築)、第3に史料翻刻を行ない、研究基盤を固めることである。ただし以上は、研究計画期間=3年間を通底する目的・計画である。 そこで初(平成21)年度は、「研究計画調書」中の「平成21年度の計画」に記載したように、第1に新史料の発見・収集、第2にデータ整理を重点的におこない、研究の基盤固めをおこなった。 (3)「研究実績」は以下の3点に集約できる。第1に出産・出生指標算出のための詳細史料は、複数の肝入文書を探索した結果、たいていは断片的であるか皆無だった(人別帳、妊娠書上、過去帳が揃う事例は僅少と判明)。第2に人口減対策・出生促進策を記した藩文書を入手し、翻刻してテキスト化した(これにより、詳細な質的分析が可能となる)。第3に1ヶ村分の妊娠書上をデータ・ベース化した(流産・死産率は計算可能と推定)。 以上が初年度の実績である。数量データと質的データの架橋は次年度以降の課題である。しかし、奥州の諸権力は19世紀後半~明治初年になって初めて、人口減対策に「本気になった」ようだ。その具体的措置は、たとえば藩役人の廻村による村方帳簿(出産、人口、土地書上)の直接点検と指導、新藩県による間引教諭・失業武士への開墾地斡旋などだったようだ。
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