本研究計画の目的は、現地の図書館と公文書館(アルヒーフ)で資料開拓を行うことにより、1930年代ロシアにおける労働学校理念・「新教育」の放棄の過程と「体系的」な教育課程・評価制度の初期構築過程を解明すること、これによりソビエト的な学校制度・教育学の形成を実証的にとらえること、及び、そこにおける教育学者・児童学者・心理学者、パーヴェル・ブロンスキーの活動に関する新しい評価を行うこと、であった。 代表者は計画の助走的研究を、教育史学会53回大会(2009年10月、名古屋)においてコロキウム小報告「新教育・ブロンスキーの実像をめぐって」として発表。ここでブロンスキーへの内外の関心動向を整理し、具体的論点として、1930年代初頭、普遍的義務教育の実施に伴う生徒編成と生徒指導支援のため児童学が動員されている状況を利用しつつブロンスキーが、スターリンと対立していた「正統派」革命家・教育学者クループスカヤと共に、当時の授業水準から取り残された労働授業の立て直しを試みたことを取り上げ、これをスターリン政権下での進歩派の教育政策的抵抗として評価した。 実施計画により、12月に現地資料調査を実施し(約1週間)、文書館のブロンスキー・ファイルから回想録資料と伝記研究文献を中心に収集した。 以上に基づく第一年度の成果を北海道教育学会54回大会(2010年3月、札幌)で公表し、そこで、ブロンスキーの1910年代半ばから1930年代後半までの活動と意義を我が国では初めて総覧すると共に、特に、1930年代前半に児童学か動員されかつ研究者たちがイデオロギー「戦線」に屈服させられた状況の中で、ブロンスキーが子供研究の政治からの相対的独自性を主張(1932年)し得る学問的卓越と権威を享有していたことを指摘した。
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