本研究の目的は、往来物(前近代日本の読み書き教材)の変容過程について、テクスト学的な視点から、分析を加え、書簡文という独特の教材形式が日本においておよそ千年にわたって継続したことの意味、およびその往来物が近世期と明治期において大きく変容していったことの意味を考察することを目的としている。 本年度は、山形県立図書館、京都府立総合資料館・国立国会図書館等において、往来物に関する史料調査をおこなった。そのなかで、これまでの研究で知られていない、「西庵状」と題する往来物の存在が明らかとなった。これは、昨年度において研究した「直江状」とも深く関係するものであり、あるいは江戸期以前において、すでに成立していた往来物である可能性もある。往来物は、近世以前においては、基本的に書簡体をとり、江戸期以後において、書簡体から自由になる傾向が明確となるものである。古代以来の伝統を有する書簡体が、近世以後に本格的に展開する書簡体から自由な教材構成へと転換する過程については、これまでの往来物研究においても、とくに歴史系の往来物を中心として検討されてきた。今回発見された「西庵状」も、このような往来物のひとつとみられるが、完全なる物語に依拠している、一般的な歴史系往来物とは異なり、その主要な登場人物も、大森氏頼という、比較的ローカルな存在であるなど、「直江状」に近接した性質を有している。この点で、きわめて注目される往来物ということかでさる。 今後は、この往来物についてさらに追究すると同時に、類似した往来物が他にも存在しないか調査して、近世的な往来物の成立過程についてのテクスト学的な研究を進めていく予定である。
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