本研究の目的は、往来物(前近代日本の読み書き教材)の変容過程について、テクスト学的な視点から分析を加え、書簡文という独特の教材形式が、日本においておよそ千年にわたって継続したことの意味、およびその往来物が近世期と明治期において大きく変容したことの意味を考察することにある。 本年度においては、とくに、明治期における往来物の変容過程について検討した。明治期になると、当然のことながら、学校教育制度の確立により、教科書も近代的なものとなり、往来物は、次第にその役割を終えていくこととなる。しかし、このような移行が直ちに完了するわけではなく、一定の期間、往来物が、引き続き教材としての役割を果たしていくこととなる。教育対象の拡大により、むしろ、往来物の編纂は、明治期においてかえって隆盛をし、往来物の歴史全体を通じても、明治初期は、往来物の編纂・刊行がもっとも活発になされる時期となっているのである。 このような一時的な隆盛の後、往来物は、近代的教科書に取って代わられることになる、とするのが、これまでの一般的な理解であった。ところが、本研究により、この、往来物が近代的教科書に取ってかわられつつあった時期に、近世的な往来物の形式を残しつつ、近代的な内容をともなった多数の往来物が編纂されていたことが判明した。それは、法律的な内容を含む、公私にわたる種々の文書の書式が、往来物として編纂されているという事実である。このなかには、これまでの往来物史研究において知られてこなかった、多数の往来物が含まれている。また、往来物の形式を喪失して、一般的な著書の形式となっているもののなかにも、明らかに小学校等における使用を前提としたものも含まれており、往来物の新しい展開として、注目されるものである。これらについて調査をおこない、研究論文を執筆した。
|