本年度は、近代日本の実学人材が形成される拠点であったグラスゴウにおける日本人留学生のうち、幕末・明治期にストラスクライド大学に学んだ留学生の実態について考察した。 具体的には、(1)同期のストラスクライド大学日本人留学生は21名を数えた。(2)当初の留学生はスコットランド系商社の支援で密出国した。(3)留学といっても昼間課程に学んだ者は2名だけであり、19名は夜間課程を履修した。しかも、21名中20名は特定の専攻科目についてのみ履修した。したがって、彼らの履修期間は総じて短い。4年間修学して准学士号を取得した者が1名いたが、3年間の修学者1名、2年間3名、1年間は16名という内訳であった。(4)21名のうち14名がグラスゴウ大学にも修学していた。グラスゴウ大学の昼間課程に在籍しながら、ストラスクライド大学(正確にはグラスゴウ・西部スコットランド技術大学)の夜間課程に学んだ。 (5)夜間課程における履修科目は、蒸気機関9名、造船学8名、数学5名、電気工学5名、化学5名、電磁学・電気学4名、機械学製図3名、自然哲学3名、応用機械学2名、原動機2名、建築工事2名、冶金学2名、機械製図1名、重金属製品製造1名、ガス機関1名、船舶工学製図1名、などという内訳であった。昼間課程であれ夜間課程であれ、蒸気機関、原動機、建築工事、重金属製品製造、ガス機関という科目名にあらわれているように、専門技術の習得に直結するような実務に関連づけた科目の履修が目立っている。(6)実地研修を体験した者は山尾庸三および高嶺譲吉の2名いた。山尾は留学から帰ると工部省の創設を推進し、また同省の要職を歴任するなか、英国の造船所における実地研修を含めた留学体験をもとに実学人材の教育機関の設立を計画した。 ※加藤詔士は加藤鉦治の筆名。
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