一般に大人の発言や振舞いはオモテ(メッセージ)とウラ(メタ・メッセージ)の両面的・両義的な様相をもつが、これは教育場面、すなわち教育者の被教育者に対する場面でも現われる。一見、教育そのものにとってネガティブに見えるこの事実は、教育行為にとってむしろきわめて重要かつ有意義な意味をもっている。というのも、そこには、コミュニケーションそのものを包むコンテクストという要素が関わっており、これがいわゆる"きれい事"ではない現実を示唆するからである。本研究を通して、このコンテクストゆえにメッセージがつねに一義的とはなりえない(教育的)コミュニケーションにおいて、教育者にはそのことの自覚と配慮がたえず要請されていることを明らかにした。
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