本研究の目的は、日本の2つの総督府が置かれた台湾と朝鮮における教育政策策定の具体的過程、特に両植民地で実施された教育政策相互間の共通性と差異を検討することを通して、戦前日本の植民地教育政策の構造的特質を解明することにある。 植民地教育政策の根本となる朝鮮・台湾各教育令について、これまではその全文改正(朝鮮2回、台湾1回)を教育政策の画期として、「第一次朝鮮教育令期」、「第二次朝鮮教育令期」等々と呼び習わされてきた。しかし、朝鮮・台湾各教育令は、この他にも各6回・4回の部分改正がなされており、しかも、その4回の部分改正(および最初の全文改正)は朝鮮・台湾で同一内容を目指し、同時に行なわれたものであった。すなわち、各々、師範学校修業年限の延長、日本国内の青年学校制度への対応、国民学校令への依拠、中等学校令・師範学校令への対応である。 朝鮮・台湾における教育は、義務教育の未施行など、植民地教育としての特質を持つものであった。逆にその植民地教育としての特質故に、中等教育以上では日本人の就学が多く、その日本人に日本国内と同等の資格を与える必要があったということができよう。 なお、韓国における研究においては、1943年の部分改正を「第4次朝鮮教育令」と呼び習わしてきている。同改正は、日本国内と異なって規定される師範学校についての規程を附則に入れ込むことで、本文においては朝鮮における教育をすべて日本の国内法令に依拠することを宣言したという点から、「内外地行政一元化」の観点からも、教育行政の変化を示すものとして注目すべきことがらではあるが、法形式としては(第3次)朝鮮教育令の一部改正の形であった。
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