1951年6月文部省は、『中学校・高等学校学校評価の基準と手引(試案)』(以下、「試案」と呼ぶ)を発表し、科学的・客観的な教育行政の推進の方策を全国に示した。これは、占領期間中にアメリカの影響を受けて成立した協同的評価の方式による学校改善を企図するこの学校評価構想は、ときの民主主義的な雰囲気に合致したことも手伝って、日本中に大きな反響を与えたという。しかし、結局のこの構想は全国的な普及をみることなく、数年のうちに衰退してしまった。また、実のところどのようにして成立したのかは明らかではない。 本研究においては、この1950年代の学校評価の構想が成立した背景・経緯及び、地方における学校評価推進の実態を実証的に解明することができた。すなわち、GHQの米国人軍政官や教育関係の将校との日本側の教育関係者との交渉関係、図書情報の流通、実践情報の流通、講座実施の人脈、などの体系的な作業を通じて、当時の学校評価の構想の性格を、これまでの研究で明らかにされていた以上に明らかにし、かつ制度の普及に必要であった環境や条件について新たな理解を出すことができた。実施した主な調査のルートは下記の通りである。 a.在アメリカ対日占領期の教育関係者の史料調査 国立公文書館、関係者出身校等の調査 b.占領期の教育政策関係者の在京史料調査 国立教育政策研究所、国立国会図書館、東京都の教育センター等の調査 c.占領期の都道府県別の学校評価施策の史料調査
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