本研究は、アメリカ教育研究学会(AERA)、アメリカ心理学会(APA)、アメリカ歴史学会(AHA)を対象に、1970年の初頭に学会内に設立された、女性の地位と役割に関する委員会(女性委員会と略記)が、どのようにして、女性研究者への積極的支援政策を生み出すに至ったのかを解明することを目的とし、本年度は特に、アメリカ心理学会の政策を分析の対象とした。 (1)APAの女性委員会設立の直接の契機は、1969年のAPA年次大会における女性会員の抗議活動と心理学における女性差別をテーマにした自主シンポジウム開催であった。APAは、翌1970年10月、心理学における女性の地位に関する声明書を準備すべく特別委員会を任命した。ヘレン・オスティン委員長は、女性博士号取得者に関する最初の体系的研究を公表した(1969年)研究者であり、以降のAPA女性委員会の基本的行動方針を決定するにあたり、大きな影響をあたえることになった。 (2)他方、女性委員会を成立させるに至った二つの大きな社会的潮流を無視することはできない。その一つは、フェミニズムの運動(男女平等憲法修正条項批准のためのキャンペーンが典型)、さらにその背後にあるマイノリティの権利回復運動(1970年、ケネス・B・クラーク(1914-2005)が、アフリカ系アメリカ人として初のAPA会長に就任したことはその象徴)であった。 (3)心理職の構造変動もまた、女性研究者への積極的支援政策を助けることになった。すなわち、心理職(サイコロジスト)が博士号を要求する職種に変貌していく中、心理学関係博士号が、従来の実験心理学系から臨床心理系にシフトしていくことになったことである。 (4)APA女性委員会はまた、女性についての学問研究を支援する活動もおこない、女性心理学の部会(Division 35)を誕生させることになった。
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